永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

マスゴミ。

ジャニーズ事務所の記者会見で、ネットを中心にメディアのあり方が議論されています。これは大変よいことだと思っています。

マスコミは本来、権力のチェック機関であります。国民が不利益を被ることになれば、権力を批判しますし、糾弾もします。そこに思想の右も左もありません。

しかし、権力を批判すると「サヨク」と言われます。中国や北朝鮮、韓国など左翼勢力に「洗脳された」マスコミが「世の中を支配している」とも。

彼らはマスコミのことをこう呼びます。「マスゴミ」と。

では、マスコミが権力を批判しなかったら、この日本はどんな国になるでしょう。想像してみてください。

政府が発表した情報のみを伝える、まさに彼らが嫌う中国や北朝鮮、ロシアのような国になってしまいます。

権力のチェック機関としてのマスコミが正常に機能しているということは、憲法で保障されている言論の自由や国民の知る権利が守られていることを意味します。

言論の自由とは、「いろんな意見があってよい」ということです。だから、メディアによって論調が違ってもよいのです。

それならば、対局にあるとされる産経新聞と朝日新聞とでは「どちらが正しいか」という話になってきます。

記事になるということは、ウラをとっているわけで答えは「どちらとも正しい」と思います。

では、それをどう判断するのか。今、話題の映画『福田村事件』を撮った森達也監督は、著書『集団に流されず個人として生きるには』で、こう語っています。

 ドイツ国民がナチスドイツを選んだ理由について考察し続けたドイツ系ユダヤ人の社会心理学者エーリッヒ・フロムは、戦後に発表した著書『自由からの逃走』で、自由であることの孤独と責任に耐えられなかったからドイツ国民はナチスを選択した、と分析している。

 自由とはむやみに他者と合わせないこと。個を保つこと。群れないこと。だから孤独と背中合わせだ。自分で判断しなければならない。その責任も自分に返ってくる。特に不安と恐怖が強くなったとき、多くの人はこの孤独に耐えられない。自由よりも束縛を選んでしまう。

森監督が言うように、「自分で判断しなければならない」のです。時として、人は集団化して暴走します。メディアがそれを煽ることもあります。そんなときでも判断力を失わず、集団に流されないような自分でありたいと私は思っています。