永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

美味しさを決めるもの。

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「グルメな店ではなく、気軽に来てもらえる店にしたい」

一昨日、『うどんや 太門』の太門さんが語ったひと言がずっと心の中でリフレインしている。このひと言は深いし、重い。

グルメな店からイメージするのは、「全国から厳選した食材を」とか「ミシュランにも選ばれた」、「A5等級の銘柄牛が」、「有名店で修業した店主が」といった“情報”。それも「美味しい!」と感じさせる要素であるのは間違いない。フードライターである私もこういったフレーズは使ってきたし、これからも使うと思う。

でも、フードライターである私がこんなことを書くのはアレだが、“情報”は重要ではあるが、すべてではない。「美味しい」と感じさせる要素は無数にあり、その1つにすぎないのである。福田ちづるさんは、こう言った。

「美味しいというのは、発見と納得、確認だよ」と。

海外の星付き店で修業を積んだ新進気鋭のシェフが一切の妥協を許さず、全国から厳選した食材を研ぎ澄まされた感性を頼りに仕上げた至極の一品を食べさせてくれる店。ここは「発見」だろう。

一方、先代から受け継いだ技術と味を頑なに護り続け、常連客もまた親から子へ、子から孫へと世代を超えて愛される店。これは「納得」だろう。

そして、もう一つ。仲睦まじい老夫婦が2人で切り盛りする店。特別に美味しいというわけではないが、老夫婦の人柄や居心地の良さから、いつも多くの客で賑わっている店。これは「確認」だろう。

同じ「美味しい」でも違う。どの店が優れているとか劣っているということが言いたいわけではない。っていうか、「美味しい」に上下はない。私も年をとったのか、美味しさに「発見」よりも「確認」にシフトしている。フードライターならば、トレンドをガンガンに追い求める方にニーズがあるのに。

最近知り合った青果の仲卸をされている方がこうおっしゃった。

「野菜や果物の美味しさを決めるのは、産地でもなければ、品種でもない」と。私は耳を疑った。食材の産地や品種はグルメ記事を書くにあたって、とても重要な情報なのだ。それを青果のプロが全否定したのである。では、何が美味しさを決めるのか。

「人なんですよ。それを誰が育てたのかが重要なんです」

料理も同じである。人気店と呼ばれる高級レストランも大衆食堂も「お客さんに喜んでもらいたい」という料理人のマインドは同じ。私はフードライターとしてそこに迫りたい。