永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

偏愛の時代。

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↑写真は、現在発売中の『BRUTUS』。「珍奇昆虫」というタイトルを見て、昆虫好きの長男は絶対に反応するだろうと思っていたら、案の定買っていた(笑)。

それにしても、最近の『BRUTUS』は攻めている。昆虫に興味がない人は、昆虫の特集をくんだとしても見向きもしない。当たり前の話だ。

しかし、わが家の長男のような昆虫マニアは全国規模で考えると、相当な数がいる。彼らが全員『BRUTUS』を買ったら、版元であるマガジンハウスはウハウハだ。

これまで雑誌は、「定期購読してナンボ」というビジネスモデルを基に雑誌づくりをしてきた。しかし、ネットが普及した今、それはすでに崩壊している。

そんな中『BRUTUS』は、一般大衆に広く浅く伝えるのではなく、一部マニアに対してとことん狭く深く伝えるという新たなビジネスモデルを構築したのである。

一方、「博愛」の対義語に「偏愛」というコトバがある。

【博愛(はくあい)】

すべての人を平等に愛すること。「―の精神」

【偏愛(へんあい)】

かたよって愛すること。特定の人や物事を特別に愛すること。また、その愛。

これからは「偏愛」の時代が来ると確信している。

例えば、名古屋めし。

すべての名古屋めしを平等に愛する名古屋めしライター、あるいは名古屋出身をウリにしているタレントは星の数ほどいる。

名古屋めしなら、いや、名古屋ならオールOK、みたいな。

彼らの大名古屋博愛主義ともいうべき思想の根底にあるものは、一体何だろうか。

名古屋で生まれ育ったという郷土愛から?

それとも、ビジネス?

実際、とっくの昔に故郷を出たくせに『秘密のケンミンSHOW極』でしれーっと名古屋愛を語るヤカラもいるし。

私にもそれなりに郷土愛もあるし、長い間、名古屋めしをビジネスのコンテンツとしてきたが、20年経って、名古屋めしへの博愛精神を捨てた。

そりゃ博愛精神は美しいよ。愛を語っている人もイイ人に見えるし。

博愛精神を捨てたのは、人間が小さくて、了見の狭い私には無理、ということに気がついたからだ。

その代わり、思いっきり偏った愛は自分の中にあるし、それを語る上で必要な言葉も持っている。逆にそれが私の強みだと思っている。

偏愛、最高だぜ。