写真は芸術なのか?
撮り手自身の考え方もあるし、何を被写体としているのかも判断材料になる。
大きく意見が分かれるだろうが、私は写真を芸術だと思ったことがない。
同じように、映画は芸術なのか?という論争もあるらしい。
これも私の考えは否、である。
写真も映画も大衆娯楽であり、大衆文化だと私は思っている。
そりゃ、たった1枚の写真に心を動かされることもある。深く考えさせる1枚もある。
しかし、本当に心が動かされたり、深く考えさせられるのは写真ではなく、レンズの先にある被写体なのである。
食いもんの写真ばかり撮っているナンチャッテカメラマンが偉そうにと思うかもしれない。
でも、私が撮った食いもんの写真よりも食いもんそのものの方が何十倍、何百倍の価値がある。それは間違いない。
写真には、本物としての価値の何十分の一、何百分の一が表れているに過ぎないのだ。
勘違いしてほしくないのは、写真を卑下しているのではない。
大衆娯楽よりも芸術の方が勝っているともこれっぽっちも思っていないし、そもそも比べるものではない。
私自身、大衆娯楽や大衆文化に魅せられている部分もある。
例えば、名古屋のきしめんや愛知県一宮市のモーニングサービス。これらは、大衆によって育まれた文化である。
食に限らず、お上から奨励されたものや、お上から大衆へと広がったものは、文書としてその記録が残る。
ところが、きしめんもモーニングも大衆から広がったものなので、まったく記録らしきものがまったく残っていないのだ。
大衆の間で自然発生的に生まれて、今もなお存続しているという事実に私はなんともいえないロマンを感じる。
写真も大衆のものであり、その中で輝くような1枚を撮りたいと願っている。