永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

味を守ることはコピーにあらず。

先代である父親から11年前に飲食店を継いだ2代目の店主と取材で出会った。

先代は職人気質で息子でさえ厨房へ自由に出入りできない、まさに聖域だった。しかも、料理のことは何も教えなかった。見て覚えろということか、それとも店を継がせる気はなかったのか今となってはわからない。

11年前のある日、仕事を終えた先代は
「これ以上はもう無理だ!」と言い残して店を去り、その日以来、厨房に立つことはなかった。しかし、明日も明後日も店を開けねばならない。

「私自身、店を継ぐ気はなかったんです。でも、私の意志に関係なくとにかく店を開けなきゃならない状況に追い込まれたわけです」と、店主。

見よう見まねで料理を作っては客に出した。何度も何度も作っているうちに先代の味を再現するまでになった。料理人としてのセンスが備わっていたこともあるが、先代の「見て覚えろ」という指導?もあながち間違ってはいなかったのかもしれない。

先代が厨房に経っていた頃、私は何度も料理を食べたことがある。今回初めて2代目が作った料理を食べたが、明らかに先代の味と変わっていた。別物になっていたのではない。先代がつくり上げた味を受け継ぎながらもブラッシュアップ、つまり、より美味しくなっていたのだ。

世の中には先代の味をまったく変えていない店も沢山ある。それはそれですばらしいとは思うが、先代の味を頑なに守るというのはそういうことなのか。私は違うと思う。守るだけではよくてプラスマイナスゼロ。下手をすればあっという間にマイナスに転落してしまう。

先代の味のコピーでは、先代が身につけたアイデアや技術の上に胡座をかいているにすぎないのだ。それに時代の移り変わりとともに人々の味覚も変われば、食材や調味料も変わる。先代の後継ぎに対する思いとしては「オレを越えろ!」だろう。

私が出会った2代目の店主は毎日料理を作りながら、少しずついろんなことを試して改良させていったのだ。以前にこのブログにも書いたことがあるが、単調な作業を繰り返す中でクリエイティブな発想を見出して、見事にカタチにしたのだ。

「まだまだ完成とは思っていません」と、店主。その顔は明らかに料理人になっていた。

料理と同様に写真を撮るという仕事も単調な作業になりがち。技術やセンスは現場で学ぶのである。それを忘れてはならない。