永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

料理のチカラ。

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先日、ブログで『鮨 古川』へ行ったことを書いたが、一緒に行ったのは、30年、いや、違うな。35年来の親友K。

Kは人当たりが良く、物腰がやわらかく、やさしくて、爽やかで、可愛い娘が3人もいる。私にナイものをすべて持っている男なのである(笑)。Kを悪く言う人を見たことも聞いたこともない。それも私とはまったく違う(笑)。

ついでに言うと、私たち夫婦の結婚披露宴は、Kと、当時つき合っていた彼女が司会を務めてくれた。その後、2人は結婚し、今度は私たち夫婦が披露宴の司会をした。いや、そもそも彼らにとって、恋のキューピットは、何を隠そう、この私なのである。

まだ彼らがつき合う前の話。お互いに好意を持っていることを知り、私と当時の彼女(現・女房)と4人で食事に行く約束をした。が、私と当時の彼女は、あえてそれをドタキャンした。つまり、2人っきりにしてやったのだ。それが縁となり、交際がスタートした。

おっと、過去の暴露はこれくらいにして(笑)、『鮨 古川』での話に戻そう。あまり酒が得意ではないKだが、この前は結構な量を飲んだ。酔いも手伝ったのかもしれない。突然、こんなことを言い出した。

「ナガヤと大将は、僕の命の恩人だから……」と。

Kが鬱病を患い、会社を休んでいるという話を聞いたのは2010年頃。私のようなクズがピンピンしているというのに、なんで、あんなイイヤツが病気になるのか?悲しいやら、悔しいやら、複雑な心境のまま、これまた35年来の親友MYとKの自宅へお見舞いに行った。

奥様は私たちの来訪を大変喜んでくれた。病に苦しむKに対して、努めて明るくしているようにも見えた。これはなかなかできることではない。本当に彼はすばらしい奥様と結婚したものだ。何度も言うが、キューピットはこの私である(笑)。

Kはもともとそんなに口数が多い方ではない。が、私たちが奥様とバカ話をして大爆笑していても、まったく笑わず、相づちを打つのがやっとだった。その顔は無表情で、まるで能面のようだった。私は大きなショックを受けた。何とかしてやりたいと思った。

その後、奥様や家族の献身的な看病のおかげで徐々に回復していった。私がまた別の35年来の親友MNとKを『鮨 古川』へ誘ったのはその頃だった。当時は店が上前津にあり、入り口からいちばん奥が私の定位置だった。

大将が握ったコハダを食べたとき、横に座るKの顔をちらっと見た。よっぽど美味しかったのだろう。今にも泣き出しそうな顔をしているではないか。

鬱病は料理の味もわからなくなるという。Kは間違いなく、回復しつつあるのだと思った。が、楽しい席でそれを言うのは野暮ってもの。

「お前、何なんだ、その顔は(笑)。何とかしろ(笑)!」と、私はそれをイジリ倒した。

実際、Kは『鮨 古川』で寿司を食べたのを機に、美味しいものを食べる喜びに目覚めた。そして、鬱病の症状も回復していったのである。

これまで、私はKに鬱病だったときの話を積極的に聞いたりしなかった。Kにとっては思い出したくもないことだろうし。しかし、この前は、

「ナガヤと大将は、僕の命の恩人だから……」と、自ら話したのである。Kはもう大丈夫だと確信した。よかったなぁ。本当によかった!

料理はただ単にお腹を満たすものではない。生きていく上での栄養素を摂るためのものでもない。閉ざしていた心を開き、そこに喜びを与えるのも料理の持つチカラなのである。

考えてみると、そりゃそうである。肉も、魚も、野菜も、その命をいただいているのだから。ココロが疲れている人は、美味しいものを食べることをお勧めしたい。