永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

長男の結婚式へ。

4日ぶりのブログ。連休していたのは、長男の結婚式に出席するために石垣島へ行っていたからである。

石垣島でブログを更新することもできたが、4日間も家を空けることを告知してしまうとセキュリティ的に問題があると思い、連休を決断したのだ。

まぁ、私の家に盗みに入っても、金目のものは置いてないけどね。万一、カメラやパソコンが盗まれたら露頭に迷うから。

結婚式は21日に宿泊先のANAインターコンチネンタル石垣リゾート内の教会で執り行われた。さすがに親戚や友人、職場の同僚などは招待できず、それぞれの家族だけの結婚式だけにアットホームな雰囲気だった。

結婚式で私は教会に入ってくる長男にジャケットを着せる役目を仰せつかった。後ろからジャケットに腕を通してから前を向かせて襟元を整える。ただそれだけのことだが、成長した長男を目の前にして抱きしめたくなった。

その衝動がどうしても抑えられず、襟元を整えてから思いきり強く抱き寄せた。すると長男も私を強く抱きしめた。

それからは幼かった頃の長男と過ごしたさまざまな思い出が蘇り、結婚式で何をしたのかよく憶えていない。ただ、一つだけ、理屈抜きにわかったことがある。

断っておくが、私に霊感なんてこれっぽっちもない。しかし、はっきりと感じたのだ。父の存在を。父は長男のことを目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。それだけに長男の結婚式にはどうしても出席したかったのだろう。

父だけではなく、母や女房の父母と若くして亡くなった姉の存在も感じた。長男の結婚を皆が祝福してくれたと思った。

結婚式の後に開かれたパーティーでは、長男から心がこもった手紙をもらった。そこには私と女房、次男への感謝の言葉が綴られていた。

実は私も石垣島へ行く前日に長男に手紙を書いていたのでそれを手渡した。以下がその文面である。

◯◯へ


1997年11月18日、生まれたばかりの◯◯(長男)を初めて抱いたときの、
腕に伝わる温もりややわらかさは今でもしっかりと覚えている。
それまでお父は自分勝手に生きてきたけど、
◯◯の誕生を通して、自分の命よりも大切なものがあることを実感した。

◯◯はいつもおじいちゃんとおばあちゃん、お父とお母の笑顔の中心にいた。
無邪気な◯◯を見て皆が微笑むから、◯◯はいつもニコニコしていた。
それを見て、また皆が微笑む。まさに幸せの連鎖。
そんな中で◯◯は育った。

◎◎(次男)が生まれてからも、決していじめたり、暴言を吐いたりせず、
お兄ちゃんとして弟の世話をしてくれた。
◯◯はおじいちゃんやおばあちゃん、お父やお母から
愛されているということがわかっていたからだと思った。

親馬鹿と笑われるかもしれないけど、
◯◯はわが家に舞い降りた天使だったと思っている。

父親として、もう◯◯に教えることは何もない。
あるとしたら、感謝しかない。

◯◯、お父とお母の子どもとして生まれてきてくれてありがとう。
◯◯、お父とお母に数えきれないほどの喜びを与えてくれてありがとう。
◯◯、私を父親に、裕美を母親にしてくれてありがとう。

お父とお母はよい手本にならないかもしれないけど、
●●(長男の嫁)さんと仲良く、な。

●●家のご両親をお父とお母だと思って大切にしなさい。
お父とお母、◎◎のこともたまには思い出してくれ。

お父とお母はいつでも、いつまでも◯◯を見守っているよ。


令和7年4月19日
父より

長男に対して父親としての役割はこれで終えたと思っているが、長男とその家族の幸せを祈らずにはいられない。それが親というものなのだろう。