永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

覚悟。

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一生、好きでいられることは、簡単なようで難しい。好き合って結婚した女房や旦那への愛情でさえ、時が経つとともに冷めることもあるのだから。

写真専門学校へ入学したとき、同級生は50人くらいいた。しかし、後期の授業が始まると、その時点で学校を辞めた者もいた。2年生へと進級すると、さらに少なくなり、卒業する頃にはかなり減っていた。

写真業界へ就職した者も少なく、さらにそこからフリーになった者は、数えるくらいしかいない。フリーとして活躍している同級生たちは学生時代に優秀だったかというと、むしろ逆。私もその一人であるが、そもそも、学校を卒業していないし(笑)。

あ、卒業していないわけではない。母校で専門学校の講師をしていたときのこと。学校のHPにプロフィールを載せる際に、

「私、卒業していないんですが、大丈夫ですか?」と、校長(学生時代の担任)に言うと、

「じゃ、卒業したことにしよう」と、おっしゃった(笑)。ろくに卒業していない者を講師として雇う学校も学校だが、ビートたけしも中退した明治大学から「特別卒業認定証」が授与された。いわば、それと私は同じなのである(笑)。

おっと、話を戻そう。前に、私はこのブログで、私も含めてフリーになった同級生等のことを「カメラマンでしか生きられなかった」と書いた。そのバックグランドには「写真が好きだ」という強烈な思いがあったからにほかならない。

今日、テレビで四代目市川猿之助が、アルバイトをしながら役者をめざす若者に

「この先、10年、15年、役者で食えなくても、バイトを続けていく覚悟はあるのか?」という質問を投げかけていた。

その覚悟がなければ、役者という仕事が本当は好きではない、とも。PCで作業しながら見ていたので、はっきりと覚えていないが、そんなことを言っていたと思う。

学校を辞めた同級生の気持ちも解らなくはない。写真で表現するということは、同時にオノレ自身にも向かい合わねばならず、その作業が苦しくてたまらなくなる。私も逃げ出したくなることが何度もあった。

卒業制作に向けて撮らなければならないのに、カメラを触る気分にもなれない。学校にも足が向かない。まさに私はそんな状況だった。しかし、写真をやめることができなかった。やはり、好きだったのだ。

だから、学校を出てからは、写真を撮る仕事を選んだ。仕事で撮る写真はツマラナイ、という考え方もある。同級生にはいなかったが、教え子の中には写真業界に就職せず、作家として生きていくという者もいた。

私は仕事でも写真に関わっていたいと思った。お金になるとか、ならないという話ではない。写真を撮ることができたら、貧乏でも構わないと思っていたし、今もその気持ちは変わっていない。猿之助が言った「覚悟」である。

好きになることは簡単だが、一生好きでいられることは難しい。私にとって、専門学校の2年間は「覚悟」を決める場所だったのである。私もカメラマンやライターをめざす若者に問うてみたい。

「この先、10年、15年、写真や文章で食えなくても続けていく覚悟はあるのか?」と。