永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

ドロップアウト。

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昨日は、フリー生活25周年を迎えたことについて書いた。しかし、考えてみると、大学や短大、専門学校を卒業してからずっと同じ会社で働き続けている人もいる。私自身、生きていく力はそこそこあると思っていた。が、彼らの方がよっぽどスゴイ。

浪人も留年もせず大学を卒業して、勤続25年であれば現在47歳。短大か専門学校なら45歳。私より若い。しかも、彼らはバブルを経験していない、いわゆるロスジェネ世代。就職氷河期を勝ち抜き、リーマンショックによる大不況も生き抜いてきたのである。バブル世代の私にはとても太刀打ちできない。

自由に、伸び伸びと仕事がしたかった、とか、もっと時間がほしかった、とかもっともらしいことを書いてしまった。が、それは自分を正当化するためであり、実際は社会の厳しさからラクな方、ラクな方へとドロップアウトしたにすぎない。

仕事のアテがないのも、食えないのも、ドロップアウトした報いと捉えれば納得ができる。やはり、社会はそんなに甘くないのだ。

25年間、フリー生活を続けることは全然苦しくない。いや、マジで。痩せ我慢でもなんでもない。何しろ、自分の好きなことをやっているのだから。むしろ、楽しい。にもかかわらず、疲れただの、書けないだの不平不満を言うのは、ただの甘えであることに気がついた。

ドロップアウトした者は、日の当たる場所にいてはいけない。道の真ん中を歩いてもいけない。それくらいの謙虚さが必要だ。キビシイ社会で働いている人たちと肩を並べようと思ったら、彼らの倍以上に努力せねばならない。自分の好きなことしかやっていないのだから、できて当たり前なのだ。

私は、40代を「食うこと」に専念してきた。カメラマンとして、ライターとして、いちばん成長しなければならない時期なのに、これからどのようにして生きていくかを後回しにして。40代にサボった分を取り戻さねばならないのに、たかが25年を迎えたくらいで浮かれている場合ではなかった。

5年後、10年後をしっかりと見据えて、1枚でも多くの写真を撮り、1文字でも多くの文章を書く。ドロップアウトした私が日の当たる場所に立ち、道の真ん中を大手を振って歩くには、それしかないのだ。