永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

サムライになりたい。

f:id:nagoya-meshi:20190806215309j:plain

30代後半の頃から、若い頃は見向きもしなかった時代劇を観るようになった。とくに好きなのは、「山田洋次監督・藤沢周平時代劇三部作」と呼ばれる作品。

'02年公開の『たそがれ清兵衛』と、'04年公開の『隠し剣 鬼の爪』、'06年公開の『武士の一分』がそれだ。山田洋次監督作品ではないが、'10年公開の『必死剣 鳥刺し』も好きな作品だ。今でも思い出してはDVDを観ている。それぞれ5、6回は観ていると思う。

いずれの作品に共通するのは、主人公が下級武士でありながら、剣の達人であること。出世するために賢く生きるのではなく、サムライとして生きることを第一とする愚直な姿に引き込まれる。

写真や文章の達人でもない、下級カメラマンであり、下級ライターである私もこれから先をどう生きていくかを毎日考えている。そんな中で先日、新栄のフレンチ『壺中天』のオーナーシェフ、上井克輔さんと会った。

短い時間ではあったものの、いろんなことを話した。上井さんと私は同い年。写真、文章と料理。ジャンルこそ違うが、私と考えていることが非常によく似ている。

「(料理の)見た目ではなく、その根っこにある本質の部分。そこにこだわりたい」と、上井さんはおっしゃった。

これは、写真にも当てはまる。実は、私はインスタにありがちな、「映える写真」に1ミリも魅力を感じていない。早い話が大っ嫌いなのである。彩度を極限まで上げた空や花の写真を見ると吐き気をもよおすほどだ。

少しでも「キレイ」な写真を撮りたいという気持ちは理解できる。しかし、「キレイ」であればよいのか。その「キレイ」はいったい、何を基準としているのか。「キレイ」は永遠なのか。考えれば考えるほどわからない。その写真に「キレイ」であること以外の価値をどうしても見出せないのである。

「キレイ」ではなく、「美しさ」と言った方がニュアンスが伝わるかもしれない。「美しさ」のずっと奥にある、生命力や歓喜、苦悩、悲哀など被写体が積み重ねてきた歴史から滲み出るものまで写したい。それが、写真なのだ。

文章もそう。ヨソイキの、着飾った文章ではなく、ありのままの、ストレートな気持ちを綴りたい。そして、人々の心を動かす力になりたい。

今さら遅いかもしれないが、残りの人生を表現者として生きることを第一としたい。そんなことを考えている。

最後に。上井さん、ありがとうございました!短い時間でしたが、とても刺激になりました。いつか酒を酌み交わしながら、ゆっくりと語り合いたいです。またお目にかかれるのを楽しみにしています。