永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

一日一日を本気で生きる。

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ふと、iPadを見ると、Googleフォトから通知が入っていた。タップすると、2年前の今日撮影した写真が出てきた。

2年前の今頃、私は精神的にどん底だった。誰かに何かを言われたのではなく、自分自身で気づいたのだ。50歳にもなるのに、自分自身の人生を自由に生きていない、と。

どこで間違えたのか。オノレの人生とオノレ自身をとことん見つめ直した。そして、全部否定したくなった。全否定して残ったところからはじめよう、と。

突き詰めて、突き詰めて、自問自答しまくって、残ったのは、カメラマンである自分とライターである自分だった。これは否定できなかった。

毎日を意味のある一日にしようと思った。のんべんだらりと、ただ生きているのではなく、生きていることを意識して生きようと思った。泣きたくなるような辛いことも沢山あった。

このブログは自分自身の気持ちを整理するには最適だった。ブログを書きはじめて1年が経ち、2年が経って自由を得られた。今までファインダーを覗いているときは自由を感じていたが、大嫌いだった文章で同じような気持ちになったのは自分自身の中で大事件だった。

毎日、ブログを書く中で一つの目標が生まれた。それは、東京のメディア関係者に「ナゴヤにナガヤあり」と言わせしめることだった。しかし、今はその目標はどうでもよくなった。

思えば、フリーとなってから、メジャーな雑誌で仕事をすることを第一としてきた。もちろん、今でもそれは大切なことだと思っているし、否定するわけではない。

以前の私は、「○○(雑誌名)のカメラマン、ライター」という肩書があれば、仕事の枠が広がると思っていたのだ。ブログでさんざん肩書や地位をディスっていたのに。本当に情けないったらありゃしない。

肝心なのは、出版にしろ、Webにしろ、広告にしろ、メジャー・マイナーに関係なく自分のことを必要としている「場」で力を発揮することだ。それが間違いなく世界ヲ明ルクすることにつながる。

私はずいぶんと遠回りしてきた。目の前の仕事をこなすことだけ考えていた30代、40代は足踏みをしていたような気がする。50代で何とかその遅れを取り戻したい。そのためには、一日一日を本気で生きることだ。それに尽きる。