永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

可哀想な街、名古屋。

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名古屋という街の最大の特徴は、そこで暮らす人のほとんどが地元出身者であるということだ。かく言う私も、生まれてから一度も地元を離れたことがない。

以前、このブログで「名古屋の人は自立心がない。いつまでも親を頼っていて気持ち悪い」というコメントをいただたことがある。

そりゃ高校を卒業後、地元を離れて誰の手も借りずに生きている人と比べたら自立心がないかもしれない。でも、わざわざ東京や大阪へ出なくても、進学先や就職先があるから地元にとどまっているのだ。

新たに人間関係を構築しなくてもよい分、ラクだし、何よりもお金がかからない。しかし、よいことばかりでもない。

東京や大阪は、育ってきた環境や文化がそれぞれ違う人たちが集まってくるから、新たな文化が生まれるのである。名古屋はというと、大学付属の小中学校、高校のように、ずっと同じ顔ぶれ。そんな環境から新たな文化は生まれない。名古屋は可哀想な街なのである。

「名古屋めし」と呼ばれるものだって、その大半は創作料理であって、文化とは言えない。いや、言っちゃだめだと思う。文化ではなく習慣だ。とんかつを味噌で食べるという習慣、みたいな。文化と習慣をゴチャ混ぜにしてはならない。

私が名古屋めしライターを辞めようと思ったのは、「名古屋めしを紹介すること=名古屋あるある」という図式にとなることに気がついたというのもある。

つまり、「名古屋では、とんかつを味噌で食べる」と発信すると、名古屋では盛り上がる。「冷やし中華にマヨネーズ」や「バタートーストの上にあんこ」も同じ。かつて名古屋=ゲテモノ食いと揶揄された理由はそこにある。

名古屋ではディスられればディスられるほど、なぜか盛り上がる。内輪で盛り上がるための情報発信なんぞ意味がない。私のやりたいこと、やるべきことはそれではないと思ったのだ。

「名古屋めし」に限らず、日本全国、いや全世界に出しても通用する名古屋の食を、ひいては文化不毛の地、名古屋で新しい食文化を生み出そうとしている数少ない料理人をフードライターとして紹介したいのだ。

 

※写真は、名古屋駅『濱の季』で撮影した手羽先唐揚げ。「名古屋めし」である手羽先唐揚げは、北九州出身の『風来坊』の創業者、大坪健庫氏が考案した。しかも、名古屋に出店する前に北九州・小倉で現在の手羽先唐揚げの原形となるものを出していたという。詳しくは↓こちらを。

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