永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

「なごやめし」とは何か?5

「第二次なごやめしブーム」の核となるもの

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'08年に『麺屋はなび 高畑本店』から生まれた「台湾まぜそば」は、新山社長の目論見通り、瞬く間にブームとなった。平日でも店の前には長蛇の列。今池の台湾料理店『味仙』が発祥の「台湾ラーメン」がそうだったように、市内を中心に「台湾まぜそば」を出す店が増えた。しかし、その人気はまったく衰えることはなかった。

'14年7月、『麺屋はなび』は満を持して東京に進出を果たした。その結果は大成功。メディアもこぞって「台湾まぜそば」を紹介した。とくにテレビはキー局となるので、全国ネットで放映される。人気番組でタレントが美味しそうに食べるシーンを私は何度も見た。その反響は凄まじいものがあっただろう。

名古屋よりも競争が激しい東京のラーメン界にとって、『麺屋はなび』は「黒船来港!」的なショックだったと思う。が、他のラーメン店が指をくわえて見ているわけもなく、他店も「台湾まぜそば」を研究し、メニューにくわえた。実は、それが『麺屋はなび』の狙いだったと私は考える。以前、新山社長を取材したとき、

「どんどんマネすればイイですよ。よその店がマネをすればするほど、元祖であるウチの『台湾まぜそば』が輝くから」と語った。

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私自身もいろんな店で「台湾まぜそば」を食べ歩いた。しかし、残念ながら『麺屋はなび』を超える店はなかった。なぜなら、他店のものを食べた際の比較対象になるのは元祖である『麺屋はなび』の味が基準になるのだ。だから、どの店も何か、今ひとつ足りないと思ってしまうのだ。それこそが元祖の強みである。いくら他店に浮気しても、必ず戻ってくるという確信が新山社長にはあったのだろう。

たしかに、『麺屋はなび』は「台湾まぜそば」発祥の店である。しかし、「台湾まぜそば」そのものは、「台湾ラーメン」のアレンジメニューである。「第二次なごやめしブーム」の核となっているのは、「台湾まぜそば」をはじめとするアレンジメニューなのだ。(つづく)