このブログをはじめた頃は、写真や文章の仕事以外に「名古屋めし」についての講演会のオファーが沢山あった。そのレジュメを作ろうと、このブログをはじめたのである。
だから、2017年まではほとんど名古屋めしのことばかり。今でも名古屋めしについて書いた記事のアクセス数は多く、人々の関心の高さがうかがえる。
しかし、今年に入って、毎日書くようになると、内容は様変わりしてきた。タイトルこそ「なごやめし」とあるものの、まったく関係ないことばかり書いている。「名古屋めし」を検索して、このブログに辿り着いた方には申し訳なく思っている。
それにしても、毎日書くというのは、本当に大変である。気分がノッてるときは問題ない。落ちているときも書かねばならないのが辛いのだ。でも、私はいつもノリノリなわけではないし、凹むことだってある。怒り狂うこともある。泣くことだってある。
それを包み隠さず、ありのままの気持ちを書こうと思ったとき、気持ちが楽になった。どれだけ短くても毎日書き綴ろうと思えた。
だから、このブログは、私が生きた証でもある。2人の息子たちはブログの存在を知っているが、たぶん見てはいない。ひょっとしたら、見るのは私が死んだ後かもしれない。
「変態焼肉って、何なんだよ(笑)」と笑い、盛り上がってくれれば、父としても本望である(笑)。父は家庭のことを顧みなかったが、オノレの人生を面白おかしく生きていたことをわかってくれるだろう。
また、生きることに疲れたときに読み、
「親父は50歳になってもいろいろ悩んでいたんだなぁ」と、少しでも気持ちが楽になれば、これほど嬉しいことはない。
だから、このブログは、私の遺書でもあるのだ。そう考えると、毎日ブログを書くエネルギーになる。