永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

絶対に譲れないもの。1

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年をとったせいか、幼い頃のことを思い出す。

1969(昭和44)年4月25日、私はこの世に生を受けた。母によると、出産予定日は6月だったという。体重はわずか2160グラムしかなく、仮死状態で生まれた。医者が尻をパンパンと叩き、やっと産声を上げたらしい。もちろん、私は覚えていないが。

未熟児で生まれてきた私を父母はとても心配したと思う。そのあまり、やや過保護気味に私を育てた。しかし、父母が心配すればするほど私は病気ばかりしていた。小学校4年生と5年生のときには風邪をこじらせて入院したこともあった。

どの時代もそうだと思うが、小学生の頃は、勉強ができることよりも運動のできる者がスター扱いされる。体力に自信のない私は幼少期から劣等感を抱いていた。幸いなことに性格は明るい方だったので自分の殻に閉じ籠もることはなかったが。

しかし、一つ劣等感を覚えると、あれもこれも人より劣っていると思ってしまう。いつの間にか自分はダメ人間なんだとレッテルを貼り、将来を悲観的に考えていた。それが顕著だったのは、やはり思春期を迎えた中学生くらいのときだろう。

テストで悪い点を取る。すると、こんな点数ではこの程度の高校しか行けないと考える。さらに、こんな高校ではこの程度の大学、こんな大学ではこの程度の会社といった具合に。

今思えば、この発想は社会主義っぽい。なぜなら、人としてのやる気や成長をまったく考えていないんだから。まさに日教組による戦後教育の賜といえよう(嘘)。実際、こんな不公平な世の中は嫌だと思っていた。そのくせ、自らは何の努力もしていないくせに。まぁ、中学生だからね(笑)。

そんなとき、親からカメラを貰った。それもプロが使うCanon F-1というカメラ。ファインダーを覗き、露出を確認する。そして、ピントを合わせてシャッターを切る。今のデジタル一眼と違って、撮影するまでやることが沢山あった。でも、楽しかった。夢中になった。

思った通りの写真が撮れたとき、何物にも代えがたい喜びを感じた。ファインダー越しに見る世界が、それまで感じていた不公平な世界ではなく、自由で楽しい、まったく違う世界に見えた。いつしか、写真で食べていけたらと考えるようになった。

つづく。