永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

これからの父子の関係。

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一昨日と昨日は、浜松へ出張。出発前に原稿や雑務をすべて終えてから向かったので、ホテルに着いてからはのんびりと過ごすことができた。

持参したiPadで何気なくAmazonプライムを見ていたら、TBSのドラマ『テセウスの船』が追加されていた。

www.tbs.co.jp

原作の漫画を少しだけ読んだことがあり、このドラマが見たくなった。見始めたら止まらなくなり、全10話をイッキに見てしまった。あ、途中でお腹が空いて食事(写真参照)へ出かけたが、それ以外はずっと。おかげで床に就いたのは深夜3時すぎ。昨日は眠くて仕方がなかった。

さて、このドラマでは、父子や家族がテーマとなっていて、見ているとどうしても自分自身のこととオーバーラップしてしまう。

私は世間でいう夫や父とはかなりギャップがあると思っている。良き夫で良き父なのかと問われると、まったく自信がない。思いきり自分勝手に生きているから、女房や息子たちにとって私はどんな存在なのか聞くのも、考えるのも怖い。

女房はまだ私のことを自分の父親と比較して見ることができる。でも、当たり前だが、息子たちは比較する対象がいない。父親は私しか知らないわけで、自由に、自分の好きなことしかしない私が彼らの父親モデルになっている。それも恐ろしい。反面教師として捉えてくれていればよいのだが。

娘と違って、息子は思春期を境に親、とりわけ父親からはどんどん離れていく。同じ屋根の下で暮らしているのに、私が仕事場に引き篭もっているので、食事以外で顔を合わせることはない。食事のときも別に話すこともない。

もう、これから距離が埋まることはないだろう。私自身もそうだったくせに、父という立場になってみると、とても寂しい。私の父もこんな風に思っていたのだろうか。

早いもので長男は23歳で、今年は次男も成人した。立派な大人だ。これから就職して、それぞれ自立していく。もう、父としては彼らに何も望むものはとくにない。ただ、元気で生きていてくれさえすればよい。

良し悪しは別として、息子たちに私の生きざまは十分見せた。あとは、といっても、もう少し先になるだろうが、死にざまをどう見せるかということだと思っている。