永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

観世音菩薩。

出会いというものは偶然ではなく、必然である。

人とのあらゆる出会いは、自分自身を成長させてくれる機会であると思っている。

自分にとってプラスになるような出会いは言うまでもなく、たとえそれがマイナスであっても。

私はいい人ではないので、もう顔を見たくないと思う人も少なからずいる。

しかし、その人たちも私自身を成長させるために、あのような姿になって私の前に現れたのだと思うと、恨みや憎しみも和らぐというものだ。

恨み、憎しみから感謝へと気持ちを昇華させることが理想なのだろうが、残念ながら私はそこまで人間ができていない。

憎しみや怒りを原動力にするという方法もあるし、世の中にはそれで成功した人も多い。家が貧乏だったとか、親に愛されなかったとか、ね。

ライターやカメラマンの世界にはそういう人が多い。いたってフツーに生きてきた私は過酷な人生を生きてきた彼らと比べるとつまらない人間だと思っていた時期もあった。

しかし、負のエネルギーは瞬発力こそあるものの、持続力はというと疑問である。

成功した人は、ずっと誰かを恨んだり、憎んだりしていたのだろうか。きっかけは負のエネルギーだったのかもしれないが、新たな出会いがその人を変えたのだろうと思う。

人を憎むことも相当なエネルギーが要る。憎んでいてもダメージを食らうのは相手ではなく、自分だ。そんなの、馬鹿らしいではないか。

「人とのあらゆる出会いは、自分自身を成長させてくれる機会である」という私の考え方は、仏教が影響している。

仏教には観世音菩薩という慈悲の精神を象徴する菩薩様がいる。いわゆる「観音様」のことだ。観世音菩薩は、人々の願いや状況に応じて、さまざまな姿に変身して現れるという。

だから、自分のことを傷つけたり、憎んだりする人も観世音菩薩なのである、と思いたい。生きているうちにどれだけの人を赦すことができるか。それが人としてこの世に生まれてきた、クリアすべき課題なのではないかと私は思っている。