
飲食店の壁やメニューに「お客様1人につき、1品以上注文をお願いいたします」と書かれているのを見たことがあるだろう。いわゆるワンオーダー制の告知である。
私は長らく、それは書かなくてもよいことだと思っていた。飲食店に入った以上、何かを注文するのは常識というか、最低限のマナーだと考えていたからだ。
だが、ある店の女将さんがこんな話をしてくれた。
「3、4人で来て1品しか注文せず、皆で写真を撮って、おしゃべりして長居する人たちもいました」
店は全員に水とおしぼりを出す。注文しなかった人数分は、店の持ち出しになる。10年以上前の話だが、いまではワンオーダー制を明示する店は珍しくない。書かなければ伝わらない時代になったのだろう。
早い話が、一部の人に合わせた結果である。いわば“バカ基準”だ。
これは飲食店に限った話ではない。テレビのテロップも同じだ。
「この作品はフィクションです」
「許可を得て撮影しています」
「この後、スタッフでおいしくいただきました」
「あくまでも個人の感想です」
「諸説あります」
本来なら言わなくても分かることまで、丁寧に説明される。ごく一部から寄せられるクレームを避けるためだ。大多数の視聴者には関係のない話だろう。
最近では、カスタマーハラスメントに関する注意書きを掲げる店も増えた。現場がどれだけ消耗しているかが想像できる。
飲食店には本当にいろいろな客が来る。女将さんからはこんな話も。
「お手洗いの近くしか席が空いていなくて、案内したら激怒されました」
トイレの中で食べてくれと言っているわけではない。だが、そう受け取る人もいる。
別の店主はこう言った。
「ペットボトルや水筒を持参して、席で飲んでいるんですよ」
店にはドリンクメニューがある。さらに、
「缶ビール片手に来た人もいますし、いちばん驚いたのは、持ってきた弁当を席で広げられたことです」
赤ちゃんの哺乳瓶は別として、飲食店に飲食物を持ち込むという発想が、私にはどうにも理解できない。
親の躾の問題なのか、想像力の問題なのか。あるいは、「自分さえよければ」という空気が広がっているのか。
注意書きは、増え続ける。
本来なら、なくてもよかったはずの貼り紙だ。常識が掲示されなければ伝わらない社会は、どこか寂しい。
バカ基準が社会の基準にならないことを、願うばかりである。